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総合出版 コスモ21

頭にいい、体にいい、楽しい本満載!

上杉鷹山に学ぶ 財政破綻を救う感動改革!!

ウエスギヨウザンニマナブ ザイセイハタンヲスクウカンドウカイカク!!

本郷陽二著

現代の政治、行政、経済界に警鐘を鳴らす書

平成日本の末期的症状を救う具体的なヒントが満載! 米沢藩の藩政改革に成功した上杉鷹山の足跡と彼の実行力を詳細に検証する事で、惰眠をむさぼる現代日本のリーダー達に警鐘を鳴らす。

主な内容

はじめに 民を第一にして、国を救った鷹山 
第一章 眼前に迫る崩壊劇を大胆突破する!
第二章 死地に向かう組織はこうして活性化させる!
第三章 リーダーたる者の人心の掴み方
第四章 不可能を可能にする大局観
第五章 繁栄を得るためのぶれない発想

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上杉鷹山に学ぶ 財政破綻を救う感動改革!!
価格
1430円(本体1300円)
判型
四六判
頁数
160 頁
発行日
2013.5.21
ISBN
978-4-87795-260-0

立ち読み

はじめに 民を第一にして、国を救った鷹山

◇財政難だった米沢藩と酷似している平成日本の末期症状
 日本経済は過去に例がないほど失速し、近隣からの追い上げによる産業の空洞化は極めて深刻になっている。
 しかも、政治家や官僚たちは無節操・無責任な行動を繰り返して日本の地位を失墜させ、経営者たちは会社を守るという名目で従業員たちを容赦なく切り捨てようとして、国民の多くが辛酸を嘗めさせられている。
 さらに深刻なのが国の借金である。ギリシャの債務問題が世界経済の足かせになっているのは有名な話だが、実はギリシャの債務は日本の二〇分の一以下でしかない。
 ギリシャの債務危機が発覚した際、日本のマスコミは「公務員が多すぎる」「税金を払わない連中がいるからだ」「労働意欲が低すぎる」という冷ややかな対応を見せた。しかし、それは「目くそ鼻くそを笑う」と同じことである。日本はギリシャなど足もとに及ばないほど巨大な時限爆弾を抱えていると断言してもいいだろう。
 この時限爆弾が爆発すれば、日本の政治・経済だけでなく、社会も破綻することは確実である。ところが、国民を第一にして、閉塞した日本の現状を一致団結して即座に改革しようという問題意識を持っている日本人リーダーはごくわずかではないだろうか。国政の場では、揚げ足取りの噛み合わない政策論争、百家争鳴で主義・主張を唱えているが、何も前進しない、改革されない現実……。
 実は、この本の舞台として取り上げる江戸時代の米沢藩も、現在の日本と同様の危機的状況にあった。十八世紀中頃までに米沢藩の抱える借金は約二〇万両(現代の通貨に換算して約二〇〇億円)に達していたというのだ。
 藩は収入を増やそうとして臨時の税金の賦課金を徴収したり、年貢を増やすなどの措置を取った。その結果、領民は日々の食事にも事欠くようになり、逃亡が相次いだ。そして、かつては一三万人だった領民が一〇万人以下に激減してしまったのである。
 藩の人口が減り、収入が激減するという悪循環に陥りながらも、藩主上杉綱憲は実父の吉良上野介義央の借金六〇〇〇両を肩代わりしたうえ、毎年六〇〇〇石を吉良家に送り続けていた。これでは財政が悪化するのは当然と言えるだろう。
 当時の米沢藩の財政難は、江戸の町人たちにも知れ渡っていた。
「上杉弾正大弼と書いた紙を鍋釜の中に入れておくと、金気抜きのまじないになる」(新品の鍋釜の金気を抜きたいなら、「上杉」と書いた紙を入れておけばいい。そうすれば、金気が吸い取られる)という与太話が、市中で堂々と語られていたほどだった。
 ちなみに、米沢藩一五万石を現在の貨幣に換算すると、約一五〇億円になる。しかもこれは、予定通りの年貢が納められた場合の数字だ。実際には、これの三分の二程度の一〇万石ほどしかなかったとされる。つまり、収入は一〇〇億円ということで、借金が全収入の二倍以上あったことになる。
 しかも、領民たちは重税に押し潰されそうになりながら必死で働いていたにもかかわらず、藩主はそれを一切気にかけず、金を湯水のように使い続けた──まさに、現在の日本と酷似した状況と言えるのではないだろうか。
 この状況が続いていたら、米沢藩は確実に破綻していただろう。だが、実際にはそうならなかった。なぜなら、上杉治憲、後に隠居し、鷹山と号した素晴らしい救世主が現れたからである。本書では、鷹山の名を通して使わしていただく。

◇あのケネディ大統領が語った「私の尊敬する日本人」
 上杉鷹山は今からおよそ二六〇年前に米沢藩一五万石の第九代藩主となった人物である。すでに述べた通り、当時の米沢藩は巨額の借金に苦しむ全国一の貧乏藩だった。領民たちは疲弊して田畑は荒れ果て、藩の再建は不可能と囁かれていた。
 しかし、鷹山は自ら徹底した倹約を行なったうえで農業と産業の改革を進め、見事に米沢藩を復活させたのである。
 鷹山の改革がいかに素晴らしいものだったかは、浅間山の噴火がきっかけで発生したと伝わる天明の大飢饉で、一人の餓死者も出すことがなかったと後世に伝わる話からも十分に理解できるだろう。ちなみに、天明の大飢饉では奥羽地方を中心に多数の餓死者が発生。米沢藩は、救いを求めて他藩から流入してきた者たちにも施しをしたという。
 上杉鷹山の名は戦前には小学校の修身教科書にも登場し、尊敬されるべき人物として子どもたちに伝えられていた。だが、戦後になると非民主的人物と考えられ、詳細な検証がされずに否定・抹殺されてしまった。その結果、上杉鷹山の名は忘れ去られる一方だった。
 ところが、ある出来事がきっかけで再び上杉鷹山にスポットライトが当たることになったのである。
 その出来事とは、第35代アメリカ大統領に就任したジョン・F・ケネディが日本人記者団から受けたインタビューだった。
 このとき、ある記者がこんな質問をした。
「あなたが最も尊敬する日本人政治家は誰ですか」
 これに対しケネディは何の淀みもなく、
「それはウエスギヨウザンです」
 と答えたという。
 吉田茂や新渡戸稲造といった名前が出てくるとばかり思っていた記者団は虚を突かれ、ざわめいた。なぜなら、ウエスギヨウザンが何者であるか知っている記者が一人もいなかったからである。
 ではなぜ、日本人記者団が知らない人物をケネディは知っていたのか。
 その秘密は一冊の本にある。
 明治から大正にかけて活躍した文学者・内村鑑三は明治二十七年に『日本及び日本人』(後に『代表的日本人』と改題)を出版したが、その中で上杉鷹山を代表的日本人の一人として取り上げたのである。
 本書は後にヘルマン・ヘッセの父であるヨハネス・ヘッセによってドイツ語に訳されて一九〇八年にドイツで出版。その後、英訳もされ世界中で出版された。
 この本が海外の思想家や政治家に与えた影響は大きく、たとえばフランスの首相を二度も務め、第一次世界大戦時の難しい舵取りを行なったジョルジュ・クレマンソーも、「健康さえ許せば日本へ行き、ウチムラという思想家と話してみたい」
 と語ったほどだったから、若き指導者となったケネディがこの本を手にしたことは十分に考えられる。
 鷹山の考え方の中でも、とくにケネディが影響を受けたとされるのが自助・互助の精神である。鷹山は疲弊しきった領民たちに夢を与え、自らの糧以上のものを作り上げる働き者に変えた。そして互助の大切さを領民たちに伝え、「藩に頼るのではなく、互いに助け合うことで苦難を乗り越えよ」と教えた。
 ケネディは大統領就任式において「Ask not what your country can do for you. Ask what you can do for your country.(国家があなたに何をしてくれるかを問うのではなく、あなたが国家に対して何ができるかを問いなさい)」という名演説を残しているが、これはまさに鷹山の教えそのものなのである。
「尊敬している」というケネディの言葉がきっかけとなり、日本でも上杉鷹山を再評価する気運が高まった昭和四十年代に入るとさまざまな書籍が発売されるようになり、政治家や経営者が理想とする人物になっていった。
 その評価は年を重ねるにつれて高くなり、二〇〇七年(平成十九年)に『読売新聞』が自治体の首長に対し「あなたにとって理想のリーダーは誰か?」というアンケートを取ったところ、上杉鷹山が一位となったほどである。
 鷹山の評価は現在の米沢市民にも高い。他の歴代藩主は敬称なしで呼ばれているのに対し、鷹山だけは「鷹山公」と敬称を付けて呼ばれることが多いのだ。
 実感するのはまだまだ先のことになるだろうが、不況は底を打ったと言われている。つまり、経済的には復活の兆しが見えてきたと考えてよいだろう。しかし、政治はどうか。ほぼ一年ごとに総理が代わる先進国など、どこにもありはしない。しかも、国民の期待を一手に背負って誕生した民主党政権も、瞬く間に崩れ去り、後に残されたのは達成されなかったマニュフェストだけだった。代わって自民党・安倍政権が誕生したが、原発問題、低所得者層の問題、少子化……と先の見えないことだらけだ。
 親は子に、約束を守ることの大切さを教えるものだが、大人の代表ともいえる政治家たちが約束を守らなくて、どうするというのか。少なくとも国民の規範になれるはずがない。
 その点、鷹山は立派だった。自ら生活を切り詰め、領民たちに手本を示した。まさに「政治家の鑑」である。つまり、現在の平成日本の末期的症状を抜け出すヒントになるのが、この上杉鷹山の生き方であり、信条ではないだろうか。
 本書は、彼の足跡を丹念に検証することで、現在の日本の窮状から脱出するための『教科書』になるものと自負している。
 一つひとつ、鷹山の藩政改革の実績と実行力を見ていこう。そして、現代の政治、行政、経済界人の行動と対比していきたい。その結果、惰眠をむさぼる現代日本のリーダーたちに警鐘を鳴らすことができれば、幸いである。
 二六〇年前に「民を第一に」を考えて生きた彼の業績を検証することで、今後、日本が進むべき道がはっきりと示されるはずである。

目 次

もくじ・・・上杉鷹山に学ぶ 財政破綻を救う感動改革!!

はじめに 民を第一にして、国を救った鷹山

◇財政難だった米沢藩と酷似している平成日本の末期症状

◇あのケネディ大統領が語った「私の尊敬する日本人」

第一章 眼前に迫る崩壊劇を大胆突破する!

◇一二〇万石から一五万石に激減した収入

◇米沢藩の疫病神となった吉良上野介

◇参勤交代の費用も捻出できなくなった米沢藩

◇破産申告しかないところまで追い詰められた藩主

◇十七歳で米沢藩の世継ぎとなった上杉鷹山の分析力

◇ケチと言われてもトップは経費節減をしなければならない

◇大検令を発布――どん底からの再スタート

◇改革のトップに立つ者は、まず自己を変えねばならない

◇藩を甦らせる火種になろうと決心した鷹山

コラム①

「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘るまじきは 民の父母」

コラム②

誰も鷹山が書いたとは思わなかった「志記」

第二章 死地に向かう組織はこうして活性化させる!

◇民への増税なしに、藩の財政を立て直す

◇やる気を失っていた者たちに目標を持たせるコツとは

◇閑職を廃止し、人員を再配置する

◇その場限りの妥協はせず、根本的な解決を果たす

◇身をもって示す変革の発想と行動

◇強い抵抗には迅速かつ強硬な手段で応じる

◇反対意見にこそ耳を傾けなければならない

◇学問の重要性を決して忘れてはならない

◇改革のためには優秀な後継者を育成しなければならない

◇これまでの常識を見直してみる

◇今、目の前にあるもので地道に努力して力を伸ばす

◇トップが現場をおろそかにすると組織は崩壊する

◇飴と鞭を上手に使い分けて人心を掌握する

◇ミスをしたら、それ以上のことで取り返せばよい

コラム③

「してみせて 言って聞かせて させてみる」

第三章 リーダーたる者の人心の掴み方

◇“保守的な頭”を打ち破るにはどうする

◇たとえ功労者でもガンは切り捨てる

◇すべてを倹約することが最良の方法ではないと知る

◇目の前の利だけに目を奪われず、先を見据えて進む

◇厳しいことを言う側近を積極的に採用せよ

◇頭の下げ方にこだわっていると改革は進まない

コラム④

「国家人民のために立たる君にし

君のために立たる国家人民にはこれなく候」

コラム⑤

「人民は国家に属したる人民にして 我私すべき物にはこれなく候」

第四章 不可能を可能にする大局観

◇長く継続し続けなければ本当の組織とは言えない

◇「長期的な視点」を持たなければ組織は生き残れない

◇ボトムアップを利用して組織を活性化させる

◇優秀な人材なら、降格や左遷された者でも再登用する

コラム⑥

「一村は 互いに助け合い

互いに救い合うのが頼もしき事 朋友のごとくなるべし」

コラム⑦

「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」

第五章 繁栄を得るためのぶれない発想

◇すべての借金を三十三年で完済

◇適材適所を知る者こそ本当の指導者

◇どこまで強い意志を持ち続けられるか

◇「無」を「有」=金に変えることを考える

コラム⑧

「国家は先祖より子孫へ伝え候

国家にして我私すべき物にはこれなく候」

 

おわりに

プロフィール

本郷陽二(ほんごうようじ)

東京都生まれ。早稲田大学文学部仏文学科卒業。光文社カッパブックス編集部で『冠婚葬祭入門』(塩月弥栄子著)のシリーズなどを担当。その後、編集企画プロダクションを設立。ビジネスや発想法、歴史分野の著作で活躍。

主な著書に『頭がいい人の敬語の使い方』『頭がいい人は知っている日本語の品格』(以上、日本文芸社)、『人を動かす「ほめ言葉」』(中公新書ラクレ)、『美人の敬語』(宝島社)、『大人力を鍛える敬語トレーニング』(池田書店)、『頭がいい人のほめ方』『頭がいい人の謝り方』(以上、インデックス・コミュニケーションズ)、『失敗しない敬語のマナー』(ダイヤモンド社)、『言えそうで言えない敬語』(朝日新聞出版)、『仕事ができる人の敬語の使い方』(PHP研究所)などがある。